2007年12月号  4 面

12月号 見出し 12月号 1 面 12月号 2面 12月号 3面 12月号 4面

読者の広場

   川柳     枚方交野 前たもつ    (川柳教室講師)
 
             冷凍を見抜け
             なかった餡こ好き
 
        引っ越したまちで
             豊かな友にあう

        さよならは紅茶に
             します淀屋橋 
 
        稲刈りの
            一番似合う千枚田
 
        ふる里の
            風一病に柔らかい


   随想
        哀れだった妹            宝塚 石原誠一

 「道子ちゃん、天国へ行くのよ!」と繰り返し、藁布団に横たわる1歳2ヵ月の小さな妹の亡がらを抱きながら、一晩中泣き続けた母の顔を思い出すたびに目頭があつくなる。   事の始まりは昭和19年8月21日。31歳の母は8歳の姉を頭に5歳の私、年子の弟と妹、8ヵ月の妹・道子と、計5人の子供を連れ、パラオからの最後の引揚げ船に乗り込んだ。サイパンは7月7日既に陥落し、制空権も制海権もアメリカ軍に奪われていた。島からの脱出は駆逐艦であった。
 教員をしていた父は、引き上げることを許されず、朝日国民学校長兼警察署長兼残留邦人の責任者として残された。
 船団が、フィリッピンの沖合にさしかかったとき、船は船尾に魚雷を受け、そこにいた人たちと共に船尾は吹っ飛んだ。だが幸いにも沈まず甲板に避難して見たものは、多くの船が次々と轟沈していく姿だった。
 潜水艦が去った後、生き残った我々はサン・フェルナンドに上陸した後、まだ日本軍が残っているマニラまで移動し、日本に帰る船が出るまでそこに留まった。 食料もお金もない避難民生活、毎日ひもじい思いをして「お母ちゃんお腹すいたよ」という子供達、母の苦労はいかばかりだったろうか。 私は今でも食事の時、並んだり長く待たさられるのが大嫌いだ。自分の前で「ハイこれでおしまい」と言われる恐怖心が染み付いているからだ。
 ようやく帰国の船が来て12月下旬、半袖、半ズボンの姿で強い寒風と雪が舞う門司港にやっと到着した。その足で祖父母のいる滑川に行ったが、祖父母は嫁や孫に冷たかった。妹は栄養失調のため雪国の厳しい寒さに耐えられなかったのだろう、風邪をこじらせ、約1ヵ月後「マンママンマ」と呟きながら天へ召されていった。
 母は子供達を連れて、富山市内にある母の兄の留守宅へ避難した。生活のあてもないのに…。
 4月に私は星井町国民学校に入学、8月2日には富山の大空襲で多くのB29が市内を襲った。家は3発の焼夷弾を受け全焼し、多くの市民が犠牲になった。
 父は終戦の翌年2月、残留邦人引揚げ団の団長として幸いにも帰国した。私も何度死んでいてもおかしくない体験をし、奇跡的に生かされてきた。
 無邪気に食べ、楽しく遊ぶ、可愛い孫たちを見るにつけ、哀れだった妹を思わずにはいられない。 飽食の平和を満喫できる裏には、このような悲しい歴史がある。歴史に学ばず、平和のありがたみを忘れ、いつか来た道に逆戻りしそうな昨今が嘆かわしい。
 [この文章は「叶V風書房刊・孫達への証言、第20集」に採用され、今年の終戦の日、大阪で開かれた体験朗読会で、石原さんがご自身で読まれたものです]



 「ちちんぷいぷい」が活躍      富田林 久保義和
 
 この秋、毎日テレビの「ちちんぷいぷい」という番組で、ナルクの活動ぶりが紹介されました。
 姫路にいる長女が、枚方に独りで住む母のために預託時間を使って、ナルクの会員に世話をしてもらう様子が、大変分かりやすく紹介されていました。
  9月に行われた市の職員研修の講師を頼まれていたので、そのVTRを持って行ってきました。
 この研修会には「自然を守る会」「国際交流協会」なども参加しましたが、ナルクの場合、時間預託に皆さんの関心が集まり、このVTRが大きな武器になりました。勿論、拠点で行っているアドプトロードや、青色防犯パトロールもPRしてきました。

記者レポート

 [姫路]    楽しかった都市と農村の交流

 10月13日に姫路から約30q北にある市川町坂戸区において、稲刈り体験と田舎の料理を食べて芋堀りや栗拾いをするイベントを行いました。
 残念ながら米は未だ熟れていませんでしたが、農業普及センターの方が熟れ具合の識別方法や山の水を集めた溜池の話、猪よけの柵を地元の人たちが自分たちで設置した里山の話などをしてくださいました。
 とれたてのコシヒカリのおにぎりや、茄子の一夜漬け、地元の野菜たっぷりの豚汁、野菜のてんぷら等を満喫しました。 空気も景色も食べ物も全て美味しく、楽しい癒された一日を過ごしました。    
                                    (山下武彦)

 [栃木]    6年目の大谷のクリーンキャンペーン

 10月6日(土)は好天、朝9時に大谷の市営駐車場に元気な仲間が集合した。
 主催者側の挨拶の中で、我々の大谷クリーンキャンペーンが地元の人達の「街をきれいにしようとの気持ちを呼び起こした」との言葉が印象深かった。
 この奉仕活動は6年前に「ナルク栃木」と松下電器OB「松愛会」会員で始めたが、今回は「デイサービス・サン大谷」の皆さん、地区の自治会など地元の皆様が90名も参加、1つの市民運動に成長する兆しをみせてきた。
 参加者は6つの班に分かれ、5台の芝刈り機のエンジン音も高く、雑草の刈り取り、トラックでの運搬作業等を行った。
 作業終了後、参加者一同は、近くのレストランで昼食と交流会をもち会員同志の親睦を深めた。
我が街の清掃が「地域住民の活動」となり、仲間や近隣同志の「助け合いの街へ」と発展することを願っている。     (走出政視)

 [横浜]    大名行列に参加して 

 10月20日、保土ヶ谷区区制80周年記念行事として、神奈川県の警察音楽隊、大名行列、神輿、鼓笛隊など20グループが参加した1千人規模の区民パレードが行われた。
 大名行列は区長が大名に扮し、老中・奉行・近習・御殿医・茶坊主・奴などをナルクほか2団体が務めた。
 着付けに4名の専門家を京都から呼ぶなど、本格的な時代衣装を身につけ、行列の先頭にはナルクのプラカードを掲げて、保土ヶ谷区の主要な商店街を”下に下に”と連呼しながらねり歩いた。
 東海道の保土ヶ谷といえば歴史に残る地名である。そこでの大名行列は、参加者にとっても思い出に残る楽しい行事であった。(宮田良一)

 [札幌]     シニアサロン1周年

 10月14日、高畑会長ほか本部の皆さんをお迎えし、同サロンの1周年記念「作品発表とお祝いの会」を開催しました。
 このサロンは「札幌市シニアサロンモデル事業」の指定を受け、昨年開設したものです。
 当日はサロンで1年間、勉強した結果を展示、実演しました。中でも古着物のリメイク教室のエコ・シニアファッションショーは、大変好評でした。高畑会長と西村理事に着て頂いたシニアの花嫁花婿さんの衣裳は、大正時代の内掛けをリメイクしたもので、とてもステキです。この衣装一式をお貸ししますので長寿の祝着などにぜひどうぞ。
 イベント満載のプログラムなのに、練習無しのブッツケ本番で進行しましたので、いくつかの失笑もありましたが、そこは持前の度胸と愛嬌で、ご容赦を頂いた次第ですが、昼食のパンも生ソバもコーヒーも、満席のお客様から「おいしかった」と言っていただき、スタッフ一同胸を撫で下ろしました。
 翌日からは後かたづけと反省会と続き、もっと楽しい2周年に向けて歩き始めました。(河上道子)

 [びわこ湖西]   森の音楽祭に枚方拠点が友情出演

 11月3日、大津市八屋戸の森ビオトープで開催した当拠点の「ビオトープくらぶ・森の音楽祭」に上田代表はじめ20人の枚方・交野拠点のミュージックベル・チームが応援に駆けつけてくれました。
 先ず、グロッケンシュティール(鉄琴)とマンドリンチェロの伴奏に合わせて、全員で合唱、その後ミュージックベル演奏、鉄琴ソロと続き、森の中に爽やかな音色が響き渡りました。
 ミュージックベルの指導もあり、初めて触れる楽器に参加した子供たちも目を輝かせていました。
 この日は、たまたま小野妹子遣隋使派遣1400年記念「いもこ祭」の開催日、音楽祭の後、鎌田代表が枚方の皆さんをこの祭に案内しました。(池本盛雄) 

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