2017年8月号 

 多くの読者に支えられ、本紙は231号を迎えた。「喜々快々」も、一度も途切れることなく掲載を続けてきた。しかし私の健康状態を考え、今号をもって掲載を終了することした。長い間のご愛読に深甚の謝意を表する次第である。
 創設20周年の時に、本部の皆さんに過去の喜々快々を一冊の本にまとめていただいた。今も時々ページを繰り当時の記事に目を通しているが、よくこれまで続いたものだと自分自身を褒めたい心境である。
 これまで一貫して主張してきたことは、高齢者の自立支援と、地域社会への貢献活動である。高齢者が自立し、地域社会に貢献する素晴らしい社会を夢見てきた。
 本年度から新しい体制になったが、これまで実践してきた「ナルクの理念」は不変であり、本部は勿論のこと、拠点の役員、全会員が、今一度基本をしっかり理解し、ボランティアマインドを大切にし、ナルクを発展させ、素晴らしい25周年を迎えることを心から願っている。  (髙畑敬一)

                              完
                

2017年7月号 

 ナルクの会長を辞任したのと前後して、大阪府肢体不自由者協会の理事長を退任することにした。この機会にぜひ、肢体不自由者協会のことを憶えていただきたい
 大阪府肢体不自由者協会は昭和30年に「障害のある人が地域において自立した生活を営むことが出来るように支援する団体」として設立された。施設入所支援、生活訓練、就労移行支援など様々な事業を展開している
 毎年、肢体不自由児・者の作品展を開催し、支援事業の啓蒙を図っている。府内の肢体不自由児・者から募集した作品及び日本肢体不自由児協会の全国募集の入賞作品は、見る人を感動させ、私もその素晴らしさに心を打たれたものだ。表彰式には毎年出席していたが、今後は陰ながらエールを送るつもりだ
 この協会の事業には成功しているものも多いが、まだ課題も多く残っている。身体に不自由のないナルクの皆さんも、この協会の歩みを記憶の一端に止めて置いておいていただきたい。  (高畑敬一)

2017年6月号 

 早いもので、私がナルクを創設してから23年が経った。過ぎ去った日々が、走馬燈のごとく頭をよぎる
 なかでも平成6年4月20日の設立総会の模様は今でも鮮明に頭に焼き付いている。エル大阪の会場が参加者で溢れたこと。設立議案書が足りず、後日送付したこと。一番重要な理念を「自立・奉仕・助け合い」と決めるまでの熱心な議論、などは昨日のことのように思い出す
 設立10周年には、1か月かけて東海道580キロを歩き、日比谷公会堂入りをした。15周年では「エコれあいウオーク」として東京の日本橋から京都の三条大橋まで、拠点の皆様の協力を得て植樹をしながら踏破した。20周年の記念行事は「東日本大震災復興支援」と銘打って全国から1200名の会員が仙台に終結したことなど枚挙にいとまがない
 私は、このたび名誉会長に就任したが、「生涯現役」をモットーに今後のナルクの発展に少しでも役に立てばと決意を新たにしている。   (高畑敬一)

2017年5月号 

 私の故郷富山では、春の訪れは4月上旬の桜でスタートし、チューリップで本番を迎える。この時期、最大のイベントは「となみチューリップフェア」である。これは国内最大級の春のイベントで、700品種300万本のチューリップが会場狭しと咲き誇る。今年は栽培100周年記念の年で、大花壇、フラワーヒル 、花の大谷、水車苑、オランダ風花壇などの会場で、様々なイベントが開催される
 それに先立って、砺波市からチューリップ娘がナルク本部にフェアのPRを兼ねて来訪され、見事なチューリップをちょうだいした
 本年度はナルクとして重要な年になる。昨年から進めている組織改革は、全国を17のブロックに分け、理事の皆様とそれぞれのブロックの拠点代表、役員を中心に「エリア17推進会議」で、しっかり各拠点の課題を共有し、改革を進めているところである
 この会議を軸に、「会員増強と地域総合事業」というナルクの大輪を一層大きく咲かそうではないか
                                                       (高畑敬一)

2017年4月号 

 今も昔も、ナルクの各拠点では、独自の勉強会を積極的に開催している。古くは「介護ヘルパー3級研修」などが懐かしい。地域の消防署の協力で「AED」の使用法について学ぶのも一時大流行した
 最近では地域の行政を巻き込んで、「介護シニアサポーター研修」「日常生活支援活動」の研修が全国的に実施されているが、会員にも好評で、今後の総合事業推進の一助になっている
 本部では関西地区の会員に対し、専門的な企業の協力で「終活セミナー」を開催し会員に大変喜ばれた。高齢社会の中、ナルクの基本理念である「自立・奉仕・助け合い」の実践のため、特に会員相互の助け合い(時間預託活動)の展開には介護・介助の研修が会員のためだけでなく、自身のためにも必要であり、今後も拠点独自で積極的に研修を進めていただきたい
 たとえ行政が手を引いても、この研修事業は、ナルクとしての地域の大切な活動として継続して実施していきたいものだ。 (髙畑敬一)

2017年3月号 

 ナルクの正式名称は「ニッポン・アクティブライフ・クラブ」である。字数が多いし言いにくいと言うこともあり、ニッポンのN、アクティブのA、ライフのL、クラブのCをとって「NALC・ナルク」という略称ができた。簡略で覚えやすく書きやすいということで、設立当初からマスコミの評判も良かった
 設立25年、いまや会員数、事務所を持って持続的な活動をしていると言う点からすると、日本一のボランティア団体に成長した。しかし知名度という点から言うと、「誰もが知っている団体」という域には達していない
 これから先の目標は、ナルクといえば「ああ、あのボランティア団体ですね」と言われるまでにもっていきたいものだ
 社会貢献活動も、大きな曲がり角に来ている。介護保険制度も破綻の兆しが見えている。市町村の地域総合事業も本格的に始動し始めた
 この時期にナルクは一層知名度を上げて、超高齢化社会の中で新たな進歩を遂げたいものだ
                                                      (高畑敬一)

2017年2月号 

 この冬はあちらこちらで集中降雪の被害が出ている。冬の寒さの中で思うことは故郷のお正月である。北陸富山の正月は、どんよりとした曇り空の日が多い。子供たちは年末に「今度のお正月は晴れますように」と天神さんに祈りをささげるが、あまり聞き入れられることがない
 富山は「天神信仰」が盛んな地である。天神信仰とは、菅原道真を「天神さま」としてまつる信仰で、富山ではお正月の床の間に天神さまの掛け軸や置物を飾り、鏡餅や串柿、ミカン、昆布、お神酒を備える風習が根強く残っている。初孫が誕生した年の12月に祝いとして、嫁の実家から掛け軸などを贈る習わしがある。また正月2日に天神さまの前で書初めをすると、書が上達するともいわれている
 菅原道真といえば、学問の神様として北野天満宮、大宰府天満宮を思い浮かべるが、富山では暮らしに身近な存在となっている
 厳寒の昼下がり、故郷の冬を偲びつつ春の日差しを待ちわびる日々である。  (高畑敬一)

2017年1月号 

 本居宣長の「敷島の大和心を人と問わば朝日に匂う山桜花」という短歌は良く知られた句である。当時は桜と言えば山桜だったらしい。しかし、江戸時代に入ると染井吉野(そめいよしの)という品種が開発され、山桜にとって代わるようになった。今では桜と言えば、染井吉野を指すようになった。日本の名花「山桜」はどこへいったのだろう
 太平洋戦争中は陸軍の中で生きていて、軍隊の進軍の様を「山桜」と歌っていたのだが、若い人はもちろん知る由もない。それに対して海軍が士気を鼓舞するために歌ったのが、大伴家持の「海行かば」である。しかし、玉砕を発表するときに用いたので、すっかり鎮魂歌として根付いてしまった。「海ゆかば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ」
 マッカーサーがこの歌詞から日本軍の戦闘心理を読み解いたという有名な話がある。厳しい寒さが続いているが、桜の花に思いを馳せる昨今である。  (高畑敬一)