2010年6月号
高齢者介護でスタート切ったナルクの全国拠点で初めて障害者の介護を本格的に始めたのが中島豊次さん。今から12年前、横浜拠点「赤いくつ」のコーディネーターから「大ちゃんの養護学校送り迎え」を頼まれた時だ
▼「大ちゃん」こと飯田大介君は先天性障害で歩行はヨチヨチ歩き。右手は物を持ったり握ることはできるが左手は全く使えない.言葉は聞き取り能力はあるけれど話すことはできない。ボランティア体験のない71歳の中島さんが先ず始めたのは、下校の時刻校内に立って、子供達一人ひとりに笑顔で声を掛け話しかけている“先生”を見学することだった。同じ目線と同じ気持ちで接する先生を目標にして中島さんは勇気をふるって毎日「大ちゃん」の世話を始めた
▼『手を握って話しかけても無表情だった「大ちゃん」が笑顔を見せるようになり拍手の仕草も見せてくれた』と伝えに来た中島さんの喜びの声が忘れられない
▼やがて中島さんは東横浜の代表を引き受け忙しくなった。京都の15周年記念行事では元気な顔を見せていたのに10月に脳腫瘍で入院。奥さんからの連絡で見舞ったときは手遅れ状態で5月10日遂に不帰の客となった。乞われてナルク10名の会員と供に「骨拾い」まで済ませてきた。 (高畑 敬一)
2010年5月号
弱まってきた『家族の絆』に代わって『地域の絆』をつくって生きがいボランティア 活動を行っているNPO法人ナルクが孤独死ゼロに向けた行動を全国に展開するとの記事が3月26日付け読売新聞朝刊で紹介された。すると翌日富山県高岡市の日蓮宗大法寺か
ら手紙が来た
▼孤独死ゼロの活動を続けていくなかで、様々な理由で「引き取り手が無 くて行き場のない御遺骨の処理で悩む事態が生じたときは直ちにご連絡ください,宗教的
儀礼を施し御遺骨の尊厳を守ってあげます」と書いてあるではないか
▼大法寺は、今年1 月31日、NHKスペシャル「無縁社会〜無縁死三万二千人の衝撃」という番組で、大き な社会的反響を呼んだ印象に残る寺だ。
▼ナルクのある会合でその話をしていたら「それも良いがナルクの共同墓をつくったらどうか。空き地を見つけ樹木を植えて、その下で死後もみんなで仲良く暮らそう」そんな声が多数出て驚いたり喜んだり。(高畑 敬 一)
2010年4月号
「サイタ サイタ サクラガサイタ」で始まる小学1年生国語の本を引っ張り出してみた。山野に満開と咲き誇る美しい桜の絵が2頁にわたって描かれている。次の頁が「コイコイ シロコイ」で着物姿の男児が犬と遊んでいる図。夏を開くと次第に漢字が現れる。洋服を着た子どもの絵も出てくるが着物と半々ぐらい。日本が貧しかった時代だ
▼ひらがなは2年生から習ったものだなあと思い出す。
▼「修身」の教科書をのぞいてみると半分は絵だけで文字がない。最初の頁はお母さんに手を引かれて学校へ向かう入学の絵。雨の日、傘が無くて困っている子に傘を差し向ける優しい子の絵。谷に架かっている丸木橋の上で鹿が角突き合わせて互いに譲らず共に落ちてしまう絵。それらを見せながら先生がひとつひとつ自分の言葉で「人間として身につけておかねばならない心得」をしっかり教えてくださった。だからこそ貧乏を恥じず人間としての誇りを持ち、志を高く掲げて生きる日本人が多数輩出した。(高畑 敬一)
2010年3月号
阪神大震災が起きて15年目になるので風化させないようにとマスメディアが特集を組み、神戸市をはじめ各所で記念行事が行われた。
▼ナルクでも西宮が呼びかけて兵庫全拠点が連携し「1月17日を忘れない。大震災の体験と教訓、残る課題への対応」と題するフォーラムを3月12日行う。
▼阪神大震災に次ぐ被害だったのが死者3769人を出した福井地震。昭和23年6月29日午後5時過ぎに起きた。丁度その頃私は金沢市浅野川畔にある劇場で学友と二人で新劇を観ていた。マグニチュード7.1の直下型だった
▼北陸本線が不通で家に帰れない。友人の下宿に泊まり込み翌朝すぐに学生自治委員会を開き全学生に呼びかけて直ちに現地へ救援に行くことを決めた。
▼石川県庁の先輩達が早速トラック6台と救援物資を出してくれたので、それに乗り、鉄橋が崩れ落ちている九頭竜川原でテントを張り1週間泊まり込み、今で言うボランティアを行った。震源地の丸岡城下で全焼した死者のニオイが未だに忘れられない。(高畑 敬一)
2010年2月号
昨年12月号の本欄に東大阪拠点で孤独死発生と報じたが、その後坂谷代表から詳細な報告がもたらされた。それによると会員名は石原喜志子さん66歳。11月16日(月),活動予定を過ぎても参加がないので自宅に伺った。電灯がついたままで施錠されている。警官を呼んで立ち入った。倒れていたが呼吸があったので救急車で病院へ運ぶ。症状はクモ膜下出血とのこと
▼唯一の身寄り香川県にいる従姉に連絡を取ってすぐに来てもらった。その方とナルクで懸命に看取ったが遂に意識は回復せず18日(水)息を引き取った。これは孤独死ではない。ナルクの人たちに見守られながら亡くなった本人はきっと天国で喜んでいるに違いない。と坂谷さんは強調されていた
▼ただ、教訓として中標津のような「見廻りたい」があったら、もっと早く発見できていたかもしれない。それに独り暮らしの会員にはエンディングノートに「万一の時の連絡先」「余分な終末医療不要」「遺産のこと」についての記入を勧めたい。 (高畑 敬一)
2010年1月号
みなさま、あけましておめでとうございます。如何に年を重ねても「目標を立てて生きる」ことを志しておられる方は、過ぎ去った年を振り返り目標の達成度を厳しくチェックなさっているはずです。
▼筆者の反省点は「早寝早起き」「時間を守る」「碁が上手くなる」ができなかったこと。満足点は「中山道を完歩」「ナルク15周年イベントが大成功に終わった」ことに加えて念願の日本三大曳山祭りの一つ「秩父夜祭り」を見られたことである
▼有名な三大曳山祭りとは「京都祇園祭」「飛騨高山祭」「秩父夜祭」を指すが、前二者は何回も見たが秩父だけは見る機会がなかった。それがナルクの拠点が秩父にできて招いてくれた。ドコドン、ドコドン腹の底まで響く太鼓の秩父屋台囃子に乗って数百人の曳子が見事な彫刻と鮮やかな刺繍の後幕で包まれた笠鉾屋台を勇壮に動かす。花火が間断なく打ち上げられ冬夜を明るく染め上げる。江戸時代の大市の最終行事として発展した夜祭りに酔いしれた12月3日だった。(畑 敬一)
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