2010年12月号  

  ナルク会報2009年10月号で北海道中標津拠点が1年円前から実行している孤独死を絶対出さないための『見廻りたい』結成のいきさつや活動状況を詳しく報道したところ「よいことだ。我々の拠点でも是非見習ってやりたい」と大きな反響がわき起こった。それには少人数単位のブロック制を敷かねばと「顔の見える組織へ」の評価がなされているのが嬉しい
▼今年の1月NHKがテレビで「無縁社会」と名付けた特別番組を組み、家族や地域の絆から外れ、孤独死どころか遺骨の引き取り手も現れない現代社会の悲しい現実を浮き彫りにした。そして夏頃には戸籍では生きている筈の人の所在が判らない「失踪高齢者」が全国でかなりの数に上っている事実も取り上げた。これらが社会の習慣になって常態化したら恐ろしいことである
▼「和式トイレに慣れていない子供達が我慢して家に帰ってから用を足していると言う話を聞いて驚いた。改めて慣れることの善し悪しを考えさせられる。    (高畑 敬一)

2010年11月号  

 巨人・大鵬・卵焼きと流行語にもなり、大鵬が圧倒的な強さと人気で不世出の名横綱と言われていた双葉山と大鵬とどちらが強いかという論争が始まった
▼大鵬は幕内優勝回数32・45連勝を達成したのに対し双葉山は優勝12回・69連勝。しかし双葉山の時代は本場所は春秋2回しか開かれていなかったからそれを考慮すべきだ。いやそれよりも69連勝がなんと言っても偉大だとされて軍配を双葉山に挙げる人が多かった
▼その前人未踏の69連勝記録を11月の九州場所で白鵬が破るのではないかと注目を集めている。
▼双葉山が安芸ノ海に敗れて69連勝でストップしたのは昭和14年。その頃はラジオの実況のみだったがこの大ニュースは家庭でも学校でも銭湯でも持ちきりであった
▼記録の達成者は日本人横綱であってほしいとの巷の声が大きい。でも白鵬は大鵬・双葉山を尊敬し目標を立てて研究している内に日本人の心を持つに至っている。日本人が日本人の心を失っていることの方が問題ではないのか。     (高畑 敬一)

2010年10月号  

 35度を超し湿度も高い酷暑が9月半ばまで続いた。異常な今年の夏,函館拠点「はまなす」へ「預託点数を使っての観光案内」依頼が殺到した。「函館の皆さんは手分けして快く応じてくれた」と感謝の声と共にナルクの「全国ネット」の良さが改めて認識されている
▼この全国ネットの良さは親の遠距離介護だけでなく、近隣拠点同志が連携して時間預託助け合いに生かせるのを案外見逃している
▼介護保険、障害者自立支援法のようなフォーマルサービスでは救えきれない地域の弱者に対し、ナルクに対する支援の要請が高まってきている。結果、若い(と言っても60代〜70代前半)会員が思うように増えていない拠点ではボランティア提供者が不足し、つい断ってしまう。こんな時、近隣拠点に頼めば案外解決できる。「困ったときはお互い様」のナルクだから
▼15周年記念に拠点会報のコンクールを行ったのが効いたか、高槻、大垣など新規発刊が目立ち、吹田、守口、亀岡、宮城など内容充実が多くなっている。これも全国ネットの良さか。(高畑 敬一)

2010年9月号  

  暑いさなか二ヶ月半にわたり例年行っている全国行脚が漸く終わりを告げた。今年は拠点の総会に加えて17の地方ブロック毎に事務局長会議が同時期に実施された。時間預託寄付金の取り扱い徹底方を共通議題にあげたので、それにも全部出席した
▼多数の運営委員が加わって本部側との間に素朴な質問・意見が活発に交わされた。その結果、ナルクの基本理念や時間預託マニュアル改定の動機とその内容の変遷、奉仕活動と時間預託の違い等について、随分理解が深まるという副次的効果もあった。
▼ナルクは、他団体に比べとても民主的な運営にしているはずであるが、今度の会議で本部の方針・計画が必ずしも運営委員に徹底していないことがよく判った
▼経営の神様と称された松下幸之助はトップの理念・戦略方針が下部に行くにつれ薄められ歪んで来ると考え、重要な経営の変わり目の時には幹部だけではなく、できる限り多くの社員を集め話すように心がけていたことを改めて回想した次第。(高畑 敬一)

2010年8月号  

 1945年8月6日、広島に原爆が落とされて大東亜戦争(私達の子供の頃はそう呼んでいた)の敗色が濃厚になった頃、突如ソ連が日ソ中立条約を無視して日本軍に攻撃を開始した
▼日本が無条件降伏したのに伴い満州で戦っていた日本軍はソ連と停戦条約を結んだ
▼停戦協定では日本軍の捕虜は還すことになっていた。それも破ってソ連は不法にもシベリアの酷寒の地でろくな食料も与えず重労働を強いた。多くの日本兵は故国の土を踏むことなく死んでいった。生き残った若者が帰されたのが数年後
▼この人達が日本政府に補償を求める運動を続けていたがこの程、僅かの金額だが支給されることになった。この運動の中心になった人の中にナルク埼玉の風巻政一さんがいる。85歳。「元シベリア抑留兵は歳をとってどんどん死んでいっている。私が最後の若い世代」 金の額よりも報いてくれた国の心が嬉しい。これで心置きなく死んで行けると風巻さんは目を細めて語るのである。(高畑敬一)

2010年7月号  

 ナルク本部の設立15周年記念行事のあと、全国各拠点でも5・10・15周年の記念行事が組まれ、どこでも楽しく魅力的なイベントが工夫されていた
▼川崎では若い会員の妻が弾くピアノの伴奏で妻の友人と二人でプロ級のシャンソンを歌ってくれ、南横浜では百歳の詩吟の先生が背筋をピンと伸ばし大きな声で詩を吟じて、その後もユーモラスな会話を披露して一同を笑わせてくれた
▼圧巻だったのは茂原拠点、文化会館で先ず歌と楽器演奏・民舞・手話ダンスなどを競い合う場を持ったが、会員の他茂原市の多くのNPOが友情出演し、その後の10周年記念パーティーにも加わってくれた。そこには商店街の人たちや市長・社協会長をはじめ福祉や児童教育に携わる関係者が沢山駆けつけ総勢300人の半数は会員外。それができたのは、設立以来シャッターの降りかけた店を借りて事務所にし、商店街活性化のため老若を集める多様な仕掛けをしてきたことが認められたのであろう(高畑 敬一)

2010年6月号

 高齢者介護でスタート切ったナルクの全国拠点で初めて障害者の介護を本格的に始めたのが中島豊次さん。今から12年前、横浜拠点「赤いくつ」のコーディネーターから「大ちゃんの養護学校送り迎え」を頼まれた時だ
▼「大ちゃん」こと飯田大介君は先天性障害で歩行はヨチヨチ歩き。右手は物を持ったり握ることはできるが左手は全く使えない.言葉は聞き取り能力はあるけれど話すことはできない。ボランティア体験のない71歳の中島さんが先ず始めたのは、下校の時刻校内に立って、子供達一人ひとりに笑顔で声を掛け話しかけている“先生”を見学することだった。同じ目線と同じ気持ちで接する先生を目標にして中島さんは勇気をふるって毎日「大ちゃん」の世話を始めた
▼『手を握って話しかけても無表情だった「大ちゃん」が笑顔を見せるようになり拍手の仕草も見せてくれた』と伝えに来た中島さんの喜びの声が忘れられない
▼やがて中島さんは東横浜の代表を引き受け忙しくなった。京都の15周年記念行事では元気な顔を見せていたのに10月に脳腫瘍で入院。奥さんからの連絡で見舞ったときは手遅れ状態で5月10日遂に不帰の客となった。乞われてナルク10名の会員と供に「骨拾い」まで済ませてきた。  (高畑 敬一)

2010年5月号

 弱まってきた『家族の絆』に代わって『地域の絆』をつくって生きがいボランティア 活動を行っているNPO法人ナルクが孤独死ゼロに向けた行動を全国に展開するとの記事が3月26日付け読売新聞朝刊で紹介された。すると翌日富山県高岡市の日蓮宗大法寺か ら手紙が来た
▼孤独死ゼロの活動を続けていくなかで、様々な理由で「引き取り手が無 くて行き場のない御遺骨の処理で悩む事態が生じたときは直ちにご連絡ください,宗教的 儀礼を施し御遺骨の尊厳を守ってあげます」と書いてあるではないか
▼大法寺は、今年1 月31日、NHKスペシャル「無縁社会〜無縁死三万二千人の衝撃」という番組で、大き な社会的反響を呼んだ印象に残る寺だ。
▼ナルクのある会合でその話をしていたら「それも良いがナルクの共同墓をつくったらどうか。空き地を見つけ樹木を植えて、その下で死後もみんなで仲良く暮らそう」そんな声が多数出て驚いたり喜んだり。(高畑 敬 一)

2010年4月号

 「サイタ サイタ サクラガサイタ」で始まる小学1年生国語の本を引っ張り出してみた。山野に満開と咲き誇る美しい桜の絵が2頁にわたって描かれている。次の頁が「コイコイ シロコイ」で着物姿の男児が犬と遊んでいる図。夏を開くと次第に漢字が現れる。洋服を着た子どもの絵も出てくるが着物と半々ぐらい。日本が貧しかった時代だ
▼ひらがなは2年生から習ったものだなあと思い出す。
▼「修身」の教科書をのぞいてみると半分は絵だけで文字がない。最初の頁はお母さんに手を引かれて学校へ向かう入学の絵。雨の日、傘が無くて困っている子に傘を差し向ける優しい子の絵。谷に架かっている丸木橋の上で鹿が角突き合わせて互いに譲らず共に落ちてしまう絵。それらを見せながら先生がひとつひとつ自分の言葉で「人間として身につけておかねばならない心得」をしっかり教えてくださった。だからこそ貧乏を恥じず人間としての誇りを持ち、志を高く掲げて生きる日本人が多数輩出した。(高畑 敬一)

2010年3月号

 阪神大震災が起きて15年目になるので風化させないようにとマスメディアが特集を組み、神戸市をはじめ各所で記念行事が行われた。
▼ナルクでも西宮が呼びかけて兵庫全拠点が連携し「1月17日を忘れない。大震災の体験と教訓、残る課題への対応」と題するフォーラムを3月12日行う。
▼阪神大震災に次ぐ被害だったのが死者3769人を出した福井地震。昭和23年6月29日午後5時過ぎに起きた。丁度その頃私は金沢市浅野川畔にある劇場で学友と二人で新劇を観ていた。マグニチュード7.1の直下型だった
▼北陸本線が不通で家に帰れない。友人の下宿に泊まり込み翌朝すぐに学生自治委員会を開き全学生に呼びかけて直ちに現地へ救援に行くことを決めた。
▼石川県庁の先輩達が早速トラック6台と救援物資を出してくれたので、それに乗り、鉄橋が崩れ落ちている九頭竜川原でテントを張り1週間泊まり込み、今で言うボランティアを行った。震源地の丸岡城下で全焼した死者のニオイが未だに忘れられない。(高畑 敬一)

2010年2月号

  昨年12月号の本欄に東大阪拠点で孤独死発生と報じたが、その後坂谷代表から詳細な報告がもたらされた。それによると会員名は石原喜志子さん66歳。11月16日(月),活動予定を過ぎても参加がないので自宅に伺った。電灯がついたままで施錠されている。警官を呼んで立ち入った。倒れていたが呼吸があったので救急車で病院へ運ぶ。症状はクモ膜下出血とのこと
▼唯一の身寄り香川県にいる従姉に連絡を取ってすぐに来てもらった。その方とナルクで懸命に看取ったが遂に意識は回復せず18日(水)息を引き取った。これは孤独死ではない。ナルクの人たちに見守られながら亡くなった本人はきっと天国で喜んでいるに違いない。と坂谷さんは強調されていた
▼ただ、教訓として中標津のような「見廻りたい」があったら、もっと早く発見できていたかもしれない。それに独り暮らしの会員にはエンディングノートに「万一の時の連絡先」「余分な終末医療不要」「遺産のこと」についての記入を勧めたい。    (高畑 敬一)

2010年1月号

みなさま、あけましておめでとうございます。如何に年を重ねても「目標を立てて生きる」ことを志しておられる方は、過ぎ去った年を振り返り目標の達成度を厳しくチェックなさっているはずです。
▼筆者の反省点は「早寝早起き」「時間を守る」「碁が上手くなる」ができなかったこと。満足点は「中山道を完歩」「ナルク15周年イベントが大成功に終わった」ことに加えて念願の日本三大曳山祭りの一つ「秩父夜祭り」を見られたことである
▼有名な三大曳山祭りとは「京都祇園祭」「飛騨高山祭」「秩父夜祭」を指すが、前二者は何回も見たが秩父だけは見る機会がなかった。それがナルクの拠点が秩父にできて招いてくれた。ドコドン、ドコドン腹の底まで響く太鼓の秩父屋台囃子に乗って数百人の曳子が見事な彫刻と鮮やかな刺繍の後幕で包まれた笠鉾屋台を勇壮に動かす。花火が間断なく打ち上げられ冬夜を明るく染め上げる。江戸時代の大市の最終行事として発展した夜祭りに酔いしれた12月3日だった。(畑 敬一)