2007年12月号 

 惜しい人がまた一人この世を去った。住本尚志・享年78歳。ナルク大阪狭山拠点を創設したのが8年前。設立準備段階で何度も本部にやってきて「継続型のボランティア団体には会員のよりどころとなり、市民が助けを求めに来るための事務所が必要だ。町の電気屋さんの事務所兼倉庫を借りることにしているが、家賃の一部援助を本部はすべきだ」としつこく食い下がられて「強面」が第一印象。でも付き合っているうちに結構人情味があり、信頼関係ができた人の意見は無条件に聞き入れてリーダーシップを発揮する良さが分かってきた
▼平成7年から民生委員をやっていた経験をフルに活かして全国各拠点に魁けて、市民にパソコンを教える「行政からの委託事業」を採り入れ、本来の事業を財政面で支える道を開拓した。しかし彼の真骨頂は癌に冒されていることが判かってからの壮絶な生き方である
▼ある日見舞いに行ったら「文部科学省認定の生涯学習指導者養成講座」の通信教育をこれから受けると言って数冊のテキストを見せてくれた。それから6ヶ月後2級の認定講座を修了。引き続き4ヶ月かけて1級インストラクターの資格を取得し、大阪狭山市の教育委員会生涯学習部門へ人材ボランティア登録を済ませた。「これから地域・ナルクでのボランティア活動に活かす」と言っていたがその志を遂に果たすことができなかった。だが、シニアの「人生終局のあり方」の鑑として語り継がれるに違いない。(高畑 敬一)

2007年11月号 

 独りで暮らす65歳以上のお年寄りが増えてその数400万人になった。内閣府の調査によると 、その内6割を超える人が病気・介護の「不安」と、頼れる人がいない「悩み」を抱えている。地域で孤立しがちなのが男性の高齢者で「近所づきあいがない」が4人に1人、「親しい友人がいない」が4割を超えている。以上は敬老の日の朝日新聞社説の一部である
▼仕事人間だったため退職しても地域にとけ込めずにいる人がいかに多いことか。放置しておけば認知症に陥ったり孤独死にも繋がりかねない。日本の社会にはかつて悩みを打ちあけ合い、困った時は助け合う血縁(家族・親族)や地縁(向こう三軒両隣・長屋)があった。それが薄くなって職縁(会社・労組)が強くなった。バブルの崩壊でそれもあやしくなった。もしも残っている企業があっても定年でそれは消滅する
▼平均寿命までの20年間一人では生きられない。何の縁をよりどころに生きていくのか。その答えは堺屋太一さんが提唱し、ナルクが既に実践検証しているボランティア団体の好縁である。他人や社会に尽くすという理念を同じくし、共に行動する中から地域で新しい沢山の友が得られる。これから定年を迎える団塊世代や50歳代の人達にボランティアの先達から話せば説得力があるというもの。    (高畑 敬一)

2007年10月号 

 山崎豊子の小説「不毛地帯」のモデルと言われ、波乱に富んだ人生を歩み日本国の進路にも大きな足跡を残した瀬島龍三さんが9月4日96歳の生涯を閉じられた
▼労組嫌い、講演嫌いで通っていたのに「同じ富山県生まれ」それだけの縁で講演依頼の手紙を出したら快く応じられ、はるばると宝塚の会場まで足を運んでくださった。集まった数百人の全国民間労組委員長が瀬島さんに期待していた話は「陸軍幼年学校を経て陸軍大学を首席で卒業、大本営参謀として活躍、シベリアにおける日本兵捕虜の不当な抑留に対する見解」などであったが、それらには一切触れられず、半生を軍人で過ごした身が伊藤忠に入って、商社の用語も文化も分からず苦労した話に終始された
▼その時耳に残った言葉「何でも初めが肝心。分からないことは徹底的に聞く。月日が経ったら初歩的なことは聞きにくいもの」
▼瀬島さんは著書「日本の証言」でソ連が中立条約を破って終戦直前に参戦し、停戦協定に違反して軍人や民間人をシベリアで働かせたと痛烈に指弾している。責任を感じて最後の引き揚げ船で帰ったら自衛隊入隊を持ちかけられた。それを受け入れていたら瀬島さんの今日の評価は生まれなかったであろう。(高畑敬一)

2007年9月号 

 先頃、高校の同窓会で「ヤクルトおばさんの宅配制度」を成功させた後輩に出会った。ヤクルトは京大医学部微生物学科に学んだ代田稔が人腸乳酸菌を発見、それを培養して創業したのが昭和10年。主として軍部に納入していたが昭和30年から今のブランドで一般家庭を対象に売り出した
▼代田博士の「健腸長寿」の思想を活かして@はがき1枚くらいの安い価格で毎日飲んでもらうA生きた乳酸菌を最良の状態で届けるB科学性を説明して満足いただくために宅配制にしたのである。当時は宅配といえば牛乳と新聞に限られていた。それも男性が早朝に配るという常識を破って20〜30歳代の婦人を使い、9時過ぎから配れるように冷蔵用具を揃えた。地域ごとに快適な販売センターを作り、保育所を併設し、制服を着せて「ヤクルト・レディー」と呼ばせた。そして「健康づくりに貢献する仕事の意義」「押し売り的用語は使わない」などの教育に力を入れて、オフィス・役所にまで訪問の網を広げた
▼中年婦人の就労が困難で暗いイメージがあった時代に「ヤクルトおばさん」と明るく呼ばれ、経営にまで結びつけたヤクルトの先見性はもっと大きく評価されても良いのではなかろうか(高畑 敬一)

2007年8月号

 七夕祭りに力を入れている全国9都市が10年前から、関係者が一堂に会して七夕サミットを開いてきたが、昨年の高岡市(富山県)から引き継いで今年は枚方・交野市が7月7・8の両日ホスト役を務めた
▼サミットに参加している都市は仙台、平塚、茂原,高岡など商店街に豪華な七夕飾りを立てて観光名物にしているところが多い。しかし枚方・交野はそういう行事は全く行われていなくて、むしろ中国から伝わってきた七夕祭りのルーツを見せて参加者に大きな感動を与えた
▼古くは「交野が原」と呼ばれた枚方・交野の地域には「天の川」という名の七夕にゆかりのある川が流れている。江戸時代ここを訪れた貝原益軒は紀行文「南遊紀行」の中で「凡そ諸国の川を見しに、かくの如く白砂の広く、直にして数里も長く続きたるは未だ見ず」と記し、あたかも天上の銀河の如しと述べている。天の川を挟んで交野山の麓に「織り姫」を祀る機物神社があり、対岸の枚方台地観音山公園に牽牛石。そしてその中央に逢合橋がある。この橋で二人が年一度七夕の夜に逢瀬を楽しんだと伝えられている。星田、星ヶ丘、中宮など七夕や天体にちなんだ地名や史跡も多くある。古老以外誰も知らなかったこれだけの遺産に陽を当てたのは、10年前に定年を迎えた僅かな人たちの集まりであった。  (高畑 敬一)

2007年7月号

  明治四十一年生まれの母が老衰で眠るが如く他界した。享年九十八才。一年半前までは富山の実家で気丈に独り暮らしを続けていたが、自分で限界を感じ、すすんで大阪の私の家に来ていた。生前からの本人の強い願望もあって葬儀を実家で行うことにし、遺体を病院から富山まで運んだ。知らせを聞いて、一目顔を見たいと近所や親類・知人が続々と弔問に駆けつけてくださった。田舎のしきたりに沿ってしめやかながら立派な葬儀をつとめることが出来た。亡母も天国できっと喜んでいるだろう。これもすべてご近所と地元町内会の手助けがあってのことで感謝一杯である。ナルクの全拠点から弔電を頂き、宮本副会長以下沢山の会員の方がお参り下さった。不幸や困難に遭遇したときに人の情を知ると言われているが心の底からそれを実感した。同時に日頃から他人に尽くすことの大切さをも。
 亡母のようにどんなに年を重ねても子供の家に行かないで住み慣れた地で独り暮らしをする高齢者がどんどん増えている。それを証明したのが四月十三日放映された中居正広の金スマ番組である。遠く離れて暮らす親の介護がナルクの全国ネット時間預託で出来ると知らされて実に二千名を超える入会希望者が資料請求をしてきた。それが老親を日本において海外で暮らす人たちからも生じている。(高畑 敬一)

2007年6月号

 人間ドックが我が国に始まった頃、勤めていた会社で35歳以上の社員に成人病検診が一斉に開始された。それに引っかかって担当医から「体重をうんと減らさないと慢性の糖尿病に陥って一生インシュリンを打ち続けるようになる」と警告された。158p・82s。肥って貫禄が付いたと喜んでいたのだから価値観を一変。真剣に食事療法に取り組んだ。しかし1年で72sまで痩せたが、それから先は何年かかっても減らない
▼ある日娘が大型犬を買ってきた。毎日散歩させるのが私の役目となり、それならばと、1万歩のウォーキングに切り替えたら半年で65sまで減り、血糖値も正常になった。全く犬のお陰である
▼ヨーゼフと呼ぶその犬が春先に15年の生涯を閉じた。人間の歳にすると100歳ぐらいとか。手厚く葬ってやろうと生駒の動物霊園に連絡したら、紙製のお棺を持ってきて遺体を入れ、家族を同乗させて霊園の祭壇にまで運んでくれた。読経、お別れと人間と同じ葬儀になり、火葬のあと供養塔に埋葬してくれた
▼今、愛犬と歩いたコースを一人でウォーキングしている。綱と糞の始末をする小道具を持たないので両手が空き、楽なのだが心が弾まず苦しんでいる。(高畑 敬一)

2007年5月号

 大阪は桜花爛漫だったが茅ヶ崎に来てみれば落花の舞。その下で松下政経塾の第28期入塾式が行われていた。黎明の鐘が鳴り響き、塾是・塾訓・五誓を唱和したあと、入塾生が全員決意表明に立つ。きびきびして礼儀正しく、背筋を伸ばして大きな声で「自分の国を自分で守る安全保障を」「真の教育改はこの方策で」等々、それぞれが自分の目指す方向を確信に満ちて話す
▼聞けば、三つ子を生んだばかりの若妻を家に残して来た。或いは安定した職を捨ててきた。
とか、大きな志の前に敢えて過去を犠牲にしたものばかり。こんな立派な若者がまだ日本にいたのかと感動した
▼政経塾は全寮制で塾生同士が切磋琢磨し合い、友情を深め、人格をつくる。現地・現場を教室とし、自習自得を基本にしている。従って座学は最初の1年だけ。あとの2年は自分で研修テーマを決め、て外の現場に出かけて調査し実習する
▼横浜市長中田浩は10期生。彼のテーマは「ゴミの発生と処理」。話題性のある国内外の都市に出かけてゴミ収集車に乗り、分別現場で実習した。次々と飛び出すユニークな政策はこの体験が原点になっている筈。松下政経塾卒の国会議員は衆参合わせて30人。自民・民主相半ばし、党の中枢を占めつつあるが、果たして幸之助塾主の描いた「21世紀の日本」をつくる力になるだろうか。(高畑 敬一)

2007年4月号

  肢体不自由児・者が作った絵画、書道、彫刻、陶芸などの作品展が毎年1回春先に行われ今年で22回を数えた。都合を付けて毎年見に行くことにしているが、何回拝見しても熱い感動を覚える。足に絵筆を持って描かれた画。口に毛筆をくわえてしたためた書。いずれも数ヶ月費やしての作品であるが、健常者に劣らない見事なできばえである
▼大阪府知事賞を得たのは9人の合作「大空への散歩」。ペットボトルのキャップを2ヶ月間に700個集め、一つひとつに色を付け、下絵に貼り付けたもので、不自由な身でなかなか作業が進まず、何度も何度も接着剤を変えたという。いつの日か仲間と気球に乗り大空を飛ぶんだという意気込みでチャレンジした
▼残存能力を精一杯使って生きている姿にある種のすさまじさを感じるが、その陰に親や作業所の職員の支えや励ましが必ず存在する
▼改革派知事の筆頭にあげられていた前宮城県知事の浅野史郎さんは全国に先駆けて障害者の施設を取り払った。重度の障害者でもみんなが暮らしていける所に住んで貰うようにしたのだが、そのために近隣者やNPOのボランティアを用意した。「これは一種の市民革命です」と彼は目を輝かす。その人が東京都知事選に立候補した。さて都民はどんな判断を下すのだろうか。(高畑 敬一) 

2007年3月号

  ナルクは早くから「ボランティアは誰にでもできる。やれる事を・やれる時に・やれる方法の三原則で」とシニアに呼びかけてきた。しかしこれはあくまで個人がボランティアに参加するときの原則であり、組織をつくって動くときは、理念や目標、運営のルールがどうしても必要になってくる。
▼ましてNPO法人となれば、三原則を活かしながら個人のモチベーションを高め、会員同志の融和を図って、地域社会の福祉・安全のニーズに応えられるナルク拠点として成長していけるか、それは良きリーダーを得られるかにかかっている<BR>
▼本号一面掲載の地域包括支援センター調査は小正月後、半月しかなかったので心配していたら、「自分自身の勉強になるし、拠点の時間預託ボランティアとして大きな活動分野になる」と考えたリーダー達が率先して市役所やセンターを訪問。その数85にも上った。頼もしい限りである。少数であるが協力しなかった拠点はやはり活動が低迷し、会員が減っている<BR>
▼リーダーの情熱・感覚・行動の差であろう。昨年から始めた次期リーダー養成講座、今年は3月6・7日ユニトピア篠山で行う。 (高畑 敬一)

2007年2月号

   自分はこれまで一心不乱に頑張ってきた。そして今、人生の一区切り、ふと周りを見ると、いろいろなことで困っている人がいた。肩を張らずに手伝いをしてみたら、意外なほど喜こんでくれた。また新しい自分の「生きがい」をそこに見つけた<BR>
▼定年退職後すぐにナルクに入り、時間預託ボランティアを始めた人が日記にとどめた語録である。充実感に包まれて第2の人生を歩んでいる心根がうかがわれて頼もしい。しかしこうして自らの手で幸せな道を作り上げている人はナルクの中でもまだそう多くはない。ましてや2000万人に手の届きそうな元気な定年アフター世代となればその数は限られている。この違いはいったいどこから来ているのだろうか。定年を機に過去の人生を反省してみて「足らざるところをどう生きるべきか」「真に人間らしい生き方とは何か」を考えたか否かではないだろうか<BR>
▼「退職後の生き方こそ、その人の真価を決める。従って在職中の3倍から5倍の緊張を持って晩年の人生と取り組まねばならない」実践教育者森信三の教えである。人間は惰性に流されやすい。良いと思ったことは明日とはいわず今日から直ちに実行することを心がけたい。(高畑 敬一)

2007年1月号

  2007年の幕開け。先ずは謹賀新年の挨拶をお届けしたい。先ず気にかかるのは今年から大量定年を迎える団塊の世代の動向である。改定高年齢者雇用安定法の成立によって大多数の企業は厚生基礎年金の給付開始年齢である63歳までの雇用延長を進めるだろうが、ナルクの団塊世代調査によれば、これに応じる人は40%ぐらい。残り30%は「自分を活かしてマイペースで働ける職場」を新たに探し、更に30%はこの際「自分のしたいこと(田舎で農業・コンサルタント・飲食店などの起業・趣味)をする」と道は分かれる。但し「頭は革新的で行動は保守」だった団塊の世代だから意外に再雇用を選択する層が多くなるかも知れない<BR>
▼この世代は友達夫婦と呼ばれ、職場結婚した人が多い。バブル崩壊後10数年、リストラやその後の厳しい経営改革で職場の家庭的雰囲気はなくなり、全員参加の社員旅行・レクもなくなって職場結婚は減った。地域でも「縁結び」の役をするオバサンが居なくなって結婚できない若者が驚くべき数字に上っている<BR>
▼ナルクの拠点を廻っても30〜40代の未婚の子を持つ会員から悩みを打ち明けられる。そこでこの人達を結びつけるナルクの結婚相談所(仮称)を今年から開設したい。日本の少子化対策に一石を投じることになれば幸いである。(高畑 敬一)