2006年12月号

 日本赤十字社に多額の資金を寄せられた功績により「ナルク」に大阪府支部長(太田知事)から感謝状を差し上げたいとの案内状が届いたのでホテルニューオオタニの会場に出かけた。名誉副総裁高円宮妃殿下ご臨席のもと受賞者・主催者千名が集まって盛会だった。配布された受賞者名簿を見ると個人より法人(団体)の数がやや多いがNPO法人ではナルクが唯一
▼そもそも寄付を仰ぐ立場にあるナルクがなぜ日赤に寄付したのか。一昨年春、十周年を記念して東海道五十七次大ウォークを実施した。「健康なシニアになってボランティアで社会貢献をしよう」とゴミを拾いながら一ヶ月かけて大阪から東京までキャンペーンを行った。その時に歩いた人から1kmにつき10円を寄付してもらった。それが延べ2500人、600kmの行進になったので沢山の金が集まる「交通遺児のために使ってください」と日赤に届けたものである
▼3年後にナルクは15周年を迎える。記念総会は京都で会場を物色中。「それなら今度は東京から中山道ウォークを」との声が関東や沿道の拠点から上がっているが「何をテーマにしてどのように歩くか」のアイデアが欲しい
▼中国で花の王と称されていた牡丹は春咲きが通常だが冬にも咲く「寒牡丹」が日本独自のものとして開発されている。奈良石光寺でまもなく見られる。(高畑 敬一) 

2006年11月号

 吾が街のどこにどんなNPO法人があってどんな活動をしているのか。北九州市立大の楢原眞二教授(公共政策)が学生や市民ボランティアと共に、公開されている100のNPO法人を聞き取り調査したところ、
  • (1) あらゆる手段を用いても連絡の取れないのが2割。
  • (2)第三者に公開する義務はない。調査する資格があるのかとの理由で取材拒否したのが2割
  • (3)金儲け主義で非営利とはいえないものや財政規模を明らかにせず事業報告書の提出を怠っているものが4割にも上った。
「玉石混合というか」あまりのひどさに調査に当たった学生たちは大きなショックを受けたという。朝日新聞「私の視点」で楢原教授は「このような状況は北九州市に限ったことではない。NPO法が誕生して7年、認証されている2万5千の法人全体にもこの傾向があるのではないか。市民の側からの緩やかな監視システムが必要」と説いている
▼NPO法では事業および決算報告書、役員名簿をいつでも市民に公開できるよう義務付けられている。さて、ナルクの各拠点は大丈夫だろうか。電話がかからない、年次毎の総会議案書が保管されていないなど市民から指摘される拠点が一つでも出ないナルクでありたい。それにしても「初めにボランティアありき」でなく「事業ありき」のNPO法人が何と多いことだろう。(高畑 敬一) 

2006年10月号

 釧路から車で1時間半の所に中標津という町がある。近年空港ができて、世界遺産に指定された知床の“入り口”として脚光を浴びている。その町で有志が集まって10月18日、全国で120番目、北海道では11番目のナルク拠点が設立される
▼起ち上げの動機は自立・奉仕・助け合いの理念と、全国ネットの時間預託システムをマスメディアで知り、魅力を感じたとのこと
▼中標津の隣町が北海道最東部の標津町。ここから海に沿って車で知床半島を走ると国後島が沖合に延々と続いて見える。思ったより大きい島だ。地元の人に聞くと佐渡島より大きいそうである。羅臼とウトロの間にある知床峠からの眺望では、真下に国後島が横たわり知床の陸続きのようで、北海道の一部、日本の固有領土なのだという実感が湧いてくる。その背後に国後より大きな択捉島があり、根室の近くにある歯舞・色丹と共にロシアに占拠されたままになっている。ここでは未だ戦後が続いているのである。
▼アメリカは沖縄を返してくれた。そもそもロシアは日本と結んでいた中立条約を一方的に破り、終戦間際に日本を攻め、漁夫の利を得た。それどころか不法にも数十万人の日本人捕虜をシベリアに連行し、数年間も酷使し十万人も飢えと寒さで死なせた。ロシアに対して、もっと国民が結束して北方領土の返還を強く迫るべきだ。(高畑 敬一) 

2006年 9月号

 戦後、経営危機に陥っていた小松製作所を立ち直らせて世界一の建設機械メーカーに導いた河合良成社長は厚生大臣(当時)を務めるなど政治家でも名を挙げたが、企業の社会貢献にと私財を投じて「財団法人・日本花の会」をつくり、栃木県・茨城県の広大な農場で桜、桃、梅等の苗木を栽培し、毎年10万本を全国の公園、道路、学校、駅などに寄付をした。とりわけ桜の新名所づくりを提唱し、日本各地と海外45カ国に桜の苗木を送り続け、その数は今日300万本を超えているという
▼小松の社員であった岩井節夫は河合社長に認められて「花の会」に出向、定年まで事務局長を務めた。ナルクの理念に惚れ込んで、埼玉拠点の設立を行い、その後、住まいする川越市を中心に埼玉西拠点の分離独立にも奔走した。ナルクの活動の傍ら、故郷の長野県小布施町に出かけ、「花いっぱい。花のまちづくり」運動に力を入れている
▼小布施は切り妻の日本家屋と、栗の小径に清流の小川。町のいたる所に花があふれていた。最も感動したのが「オープン・ガーデン」。この看板が掲げられている個人の庭には誰でもいつでも入って眺めることができる。参加の家は70軒。それぞれに個性があって美しい。本場の英国で市民が勉強してから始めているのがご自慢だがこれだけの広がりを持っているのも珍しい。(高畑 敬一)  

2006年 8月号

  舟木一夫が歌った「高校三年生」をはじめとして森昌子・五木ひろし・千昌夫など次々とデビューした一流歌手のヒット曲を作った遠藤実の「私の履歴書」が日経新聞に連載された。読後感を、もず唱平(花街の母・はぐれコキリコ等の作詞家)に話したら「住むところも着る物もなく、流しの歌を唄たって日銭を稼ぐすさまじい人生を体験したからこそ“人の心を揺さぶり歴史に残る名曲”が生まれた。それにしても支えた妻の節子さんが偉いね」と涙ぐんで同調してくれた
▼節子さんは極貧の生活を承知の上で、夢を持って必死に生きる遠藤の文化性・人間性に惚れ込んで結婚した。その頃「人はパンのみによって生きるにあらず」という価値観が強かった。金持ちであっても人格・教養が低ければバカにされた。それがいつの間にか「お金がすべて」の価値基準の時代になってしまった。結婚相手を選ぶ若い女性の第一条件は経済力。ライブドアや村上ファンドの事件は現代の世相が生み出したものである
▼ナルクが無償ボラの介護を掲げてスタートしたとき、「お金なしでは2年も続かないよ」と有償ボラ団体から忠告された。だが13年目に入ってなお会員・拠点が増え続けている。金では得られないものを共有できる喜びを次世代にもっと伝えていこう。 (高畑 敬一)

2006年 7月号

 ある「子育て支援ボランティア団体」が会員募集をしているチラシを読んだら次のような一文が目についた。
 *こんな人は会員になれません @自分さえ良ければよい方 A自分の子だけ大事な方 B他人に厳しい方。
 *歓迎します。 @元気になりたい方
▼生きがいと健康のためにボランティアをやらせてもらう。そして困ったときはお互いさまで支え合って生きていく。そんな温かい思いやりの心を持った者同士が高い志を立てて集まったのに“いがみ合ったり”“対立しあったり”して挙げ句の果てには集団が分裂してしまうというケースがよく見られる
▼会社のような縦組織で規律と権限が厳然としているところと異なり、ボランティア団体・NPOはフラットな組織で上下関係もなく、悪くすれば言いたい放題・無責任な状況に陥ってしまう。それを防ぐため、要らない会員像をはっきりさせているのだそうである
▼ナルクでも組織が大きくなり、右に見られるような拠点が出てきている。最も困るのは「活動しないで運営にだけ携わり、しかも自説に固執しすぎて相手をやりこめる役員」である。ナルクは活動が第一。「運営はみんなで」分担して協力し合ってやればよいのである。すぐれたリーダーがいれば別だが。(高畑 敬一)

2006年 6月号

  一つの情報を耳にしても、それを聞き流す人もあれば、貴重なヒントにして事業開発・組織運営に活かす人もある。男性に対して時に辛辣であったり、或いはユーモアに満ちた提言をする樋口恵子さんは「私のアイデアの根源はピンとくるすぐれた情報である。それをキャッチするために常に感度の良いアンテナを高く掲げている」と仰る
▼子育て支援推進委員会の調査を基にナルクが「登下校時の子供の安全見守りボランティアを展開しよう」と全国拠点に呼びかけた。本部通達を手にするのは代表か事務局長。このリーダー達の受け取るセンス(感度)と実行力・指導力によって拠点の対応が明確に分かれてくる
▼大阪狭山では間髪を入れず運営委員会に諮った結果、会員が比較的多く、交代で継続行動ができる市立南第二小学校に絞って取り組むことにし、校長と話し合い新学期の始まる前から見守り隊がつくられ、全校生に紹介された
▼茨木・摂津では32校中16校で会員45人がそろいのジャンパー・帽子・腕章をつけて当番制で参加。子供達から嬉しい便りをいただいている。入会していながら活動したことのない男性の参加が目立つ由。(高畑 敬一)

2006年 5月号

  富山県射水市の市民病院で外科部長が“治る見込みのない患者の人工呼吸器を外した”事件が連日報道され、老いの道にさしかかっている人や、既に同じような病人を看護している家族に大きな反響を与えた
▼人柄が良くて患者からの信頼度が高い外科部長が家族の依頼もないのにそんな行為をするはずがないが、それを証明する手書きの文書がないと駄目なのだろうか。いやそれよりも患者本人の意思表示がないと外科部長は殺人罪に問われるのだろうか、巷では論議が絶えない。弁護士に意見を聞くと、今の法律では患者の意思がないと駄目ではないか。しかし脳出血で倒れそのまま植物人間になってからでは本人の意思を確認することは困難なので何らかの法改正が必要ではないか
▼そこで改めてNPO法人ナルクが発行している“エンディング・ノート”を登場させたい。12頁の延命治療の欄に、元気なうちに自筆ではっきりと「延命治療を望まない」と書いておけばよい。そして念のため家族に伝えておく
▼東大阪・大東拠点で永らく代表を務められた疋田祥清さんが3月26日70歳で、東横浜の副代表小嶋宏さんが4月3日68歳で相継いで亡くなられた。本人が希望するPPKの生涯だが、せめてあと10年は生きて欲しかった。家族とナルクのためにも。(高畑 敬一)

2006年 4月号

 春に先がけて水仙の花がナルク福井・越前町ブロックから大阪の本部に送られてきた。机上の一輪ざしに生けると何とも可憐に見える。多いときには十数人を超えるボランティアスタッフの皆さんに一束ずつ持って帰って貰った
▼実はこの花、ナルク福井の会員が越前海岸の休耕田を整備して種から植え付けたもので、早速3月初頭、現地見学に出かけたら周囲の専門農家の栽培する水仙に引けを取らない見事なお花畑になっていた。眺望は抜群、眼下に真っ青な日本海が横たわりその先に残雪に覆われた越前海岸の絶景が水仙の花を伴って延々と越前岬まで続いている
▼越前町はこの観光と蟹を売り物にしているが、水仙の出荷額が我が国で一、二を争うほどになっていることは意外に知られていない。ナルク福井の水仙がこの出荷量の一部になって拠点に収入をもたらす
▼土地は島副代表の先祖伝来の土地だが、少し離れた場所の山も提供して山荘を建て、会員が竹炭を焼いて販売する。このためスムーズな拠点運営ができ、会員数と時間預託活動時間の伸びもめざましい。「事業収入よりも集まってよく話し合う。それも前向きな問題で。それが和になって伸びているのです」。と夜に集まってきた四役が語る
▼とりたての魚と地酒で話は新学期から取り組む小学校の安全見守り活動に及んでいく。外は雪が降り止まず。(高畑 敬一) 

2006年 3月号

 ナルクを起ちあげたのが12年前の4月20日。朝日・読売・毎日の各紙が大きな記事で紹介したこともあって、全国からの入会者がまもなく700人を超えるに至った。最小行政単位毎に会員が20人以上になったら拠点を設立するとの方針に沿って、その年の7月に先ず大阪拠点「いちょうの会」が生まれた
▼幸いなことに「寺内」の社長が事務所を無償貸与してくださったが、最初のうちは電話一つかかってこなかった。それでも辛抱強く事務所当番を続けること3ヶ月あまり、ようやくボランティアの依頼くるようになった
▼その初期の頃から活動を続けていたのが宮崎都紀子さん。コーディネーターから頼まれて断ったためしがない熱心さで、貯った預託時間が3160時間と、全国第2位。「できれば使わないで、人様に迷惑をかけずに人生を終わりたい」と漏らしていたが、1月16日「望み通りの人生」を終えた。少し早かった気もするが享年71歳
▼葬儀で娘さんが「ひとり暮らしの母であったが、ナルクで活動したお陰で充実した人生を送れた。カレンダーいっぱいにボランティア予定の丸印をつけていた母を尊敬している」と挨拶された時には列席のナルクの全員が涙した。(高畑 敬一)

2006年 2月号

 明治・昭和の二大市町村合併と同様に政府が音頭を取って進めてきた平成の大合併も今年の3月で財政的な特典が付く市町村合併特例法の期限が切れるので、一つの山場を迎える。全国で3232あった市町村は1821と激減する。特に目立つのは村の数でゼロになる県が13にのぼる。まさに昭和は遠くなりにけりである
▼富山県の石井知事は「最も合併が進んだのは我が県」と胸を張る。市町村数が15(合併前35)と全国最小になるからだ。その富山県の中央部にある小杉町は人口32000余り。県下で唯一の人口増加都市で財政的ににも恵まれているのに、周辺の1市2町1村と合併の道を選んだ。但し住民の意見が分かれ、2回にわたって住民投票を行い、僅差でようやく賛成に決まるという難産であった
▼閉庁式に招かれて出席した。懐かしい町名は消えて合併後は射水市に生まれ変わる。小学生の頃から慣れ親しんできた町旗が町歌合唱の中で中学生達の手によって降ろされ、折りたたんで町長に渡されたときは、様々な思い出が甦って思わず涙があふれた
▼感傷を乗り越えて各市町村が合併へと進むのは将来への不安である。大半はすでに過去の公共事業の借金を抱え財政難に陥っている。地方分権が進むのに人口は減少の一途をたどる。国からの地方交付税も削減が続く。しかし、ただ統合して大きくなったから危機を乗り越えられるというものではない。民間と同様、「集中と選択」が必要である。住民の参加と監視が必須の条件である。 (高畑 敬一)

2006年 1月号

  一年の計は元旦にありと、古来計画を立てて生きることの大切さを諭されてきたが、松下幸之助はまた「朝に志を立てて昼に実行し、夕に反省する」と日々目標を持って実行すれば事は必ず成る。と説いている
▼世界最高齢の70歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎は65歳の時にそれを決意したのだが「目標を立てて実現しようと一歩踏み出したとたん、あらゆるものが新鮮に映り、人生が一変した」と言う。だから他から見て過激で異常なトレーニングも楽しんでやれ、それが成功につながった。人間はいくつになっても可能性を追求できるのだと考えていて、3年後の75歳には中国側からエベレストに再登頂する目標を立てている
▼昨年小学生が相次いで殺害されるなど暗いニュースが多かった中で、高橋尚子の東京国際女子マラソンの復活優勝は感動的だった。2年前に疲労骨折しようやく回復したが、33歳という年齢、しかも運悪く試合直前に足を痛めたとあっては誰もがもう駄目だろうと思っていた。それが何と、悪夢の35kmを軽やかに走り抜け、見事目標を果たした後の言「暗闇の中でも夢を持てば光が見える。1日の目標を持つことで1歩1歩充実する」は、松下幸之助の言と奇しくも一致する
▼さてナルクの夢は全国に一千拠点を創るにあるが、今年の計画は団塊の世代の大量入会と、子供の安全を守る活動の一斉展開といこうか。(高畑 敬一)